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2010年9月21日(火)
- 現場レポート
イタリア・ガイド -ポンペイ遺跡-
紀元前8世紀に建設された地中海貿易の中心的商業都市として、ギリシャ、
フェニキア、カルタゴ、エジプトなどとの交易で栄えていたポンペイは
79年8月24日の昼時からヴェスヴィオ山が突如爆発して街は3日3晩かかって
約6メートルもの火山灰に埋もれてしまいます。
昼時と判るのはパン屋さんから炭化したパンが沢山出土したからです
経済の生命線であった港も噴火の堆積物の下に埋もれてしまいました。
1748年、ナポリ王カルロ7世が発掘するまでこの街は完全に忘れられた存在でしたが
この時から遺跡として現在に蘇り1世紀当時の古代ローマ文化、経済、
政治の歴史が解明されることになりました。
現在、街の約8割が発掘されています。
人口は約2万人だったそうで円形闘技場、アポロン神殿、野外劇場、音楽堂、
公衆浴場、大邸宅、生贄の場があり、
本物の犠牲者の姿もここでは公開されています。
すでに遠近法技術の壁画(写真:左)があり、街では今でいう宅急便(写真:中)
の店舗や何軒もあったというパン屋さん(写真:右)など原型の一部が
残っているものがあります。
公共施設は残されているものの、一般住居の手がかりが少ないですが
富裕層の邸宅となると敷地は450から3000平方メートルにも及び
夏をいかに快適に過ごすかを念頭に造られていたようです。
中庭があり噴水や彫像、列柱廊の絵画などに工夫を凝らしているが
台所の設備は狭く十分ではなかったといいます。
これは調理は奴隷の仕事とされ 富裕層の人々は外食や調理されたものを買って
中庭の寝椅子で横になりながら食事をしたということです。
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