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2017年8月3日(木)
- 建築さんぽ
無二の歴史を刻む協会堂建築群
長崎の五島列島を俯瞰すると上五島はキリスト教の十字架のかたちに地図が広がります。長崎本土ともに世界遺産候補の「長崎の協会群とキリスト教関連遺産」構成資産が点在しています。キリスト教の布教はイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に平戸より広めてから徐々に浸透し長崎がイエズス会領になり領内では日本ではじめてのキリシタン大名が誕生します。多くの教会堂建築とキリスト文化が栄え「小ローマ」と呼ばれるまでになります。
島原には神学校が建てられ1582年にはローマに「天正遣欧使節」を送り出しキリスト教教育拠点となっていきます。しかしながら1596年、土佐に漂着したスペイン船乗組員の「スペインは先ずキリスト教宣教師を派遣して信徒を増やし、やがてその国を征服する」という発言が豊臣秀吉の禁教政策に向かわせて状況を一変させたといわれています。徹底した弾圧のなかで約250年間、宣教師が居ないのに潜伏して継承してきた日本人集落が存在したことは「世界宗教の奇跡」と欧州にも伝えられたそうです。
現在、長崎には130を超える協会堂建築があります。信徒の人々が資金を出し合い建設作業に奉仕して完工したものもあり 変わらないこれまでの信仰、これからの信仰に感動があります。